薄曇の朝ですが・・・上川神社へ参りました。



主 神 天照皇大御神 大己貴大神 少彦名大神
左 座 豊受姫神 大物主神 天乃香久山神 建御名方神 譽田分命 敦実親王
右 座 鍋島直正命 黒田清隆命 永山武四郎命 岩村通俊命

とのことです。
 

場所は・・・・・

現在上川神社は、旭川市内を望む丘、「神楽岡」に鎮座しています。神社を含む神楽岡公園は、開拓以前の原初の森の姿を保ち、面積は約44.5haと 同規模の都市として市街中心部にこれだけの森林が残されているところは なかなかありません。 創祀当初は現在の旭川駅付近、次いで現旭川市役所付近、宮下21丁目と市街の発展に伴い鎮座地が移り、大正13年には現鎮座地へと移転、今に至ります。この「神楽岡」という地はかつては、天皇陛下のお住まいの皇居以外の宮殿である「離宮」の建設計画があった場所でした。

です。
 


境内も広く・・・朝まだ人も少ないせいか・・・静謐とした印象でした。


天満宮もあります・・・雪よけでしょうね,祠も包まれています。

「学問、芸術、文化の神様として崇敬される菅原道真公をお祀りするお社。昭和41年7月17日九州太宰府天満宮の西高辻信貞宮司参向のもと同宮よりご分霊を勧請し、上川神社境内社・旭川天満宮として鎮座しました。この社殿をはじめ基礎、玉垣、鳥居、社号標等々、御鎮座に要した費用の全ては市内の故福多仲蔵氏が、80歳の長寿の神恩感謝と旭川全市の学生生徒を元気づけ学業達成、念願成就をかなえさせたいとの思いから奉納されたものです。」とのことです。

 明治22年12月28日、この神楽岡の地に離宮を建てることが内閣で決定し、この一帯は世伝御料地となりました。明治44年には皇太子であった大正天皇が神楽岡に行啓せられ開拓が進む上川地方をご覧になられました。大正9年には上川神社の境内地としてこの神楽岡を借り、同10年世伝御料地解除、同13年にはこの地に神社を移遷し、神社の借地は神域として編入されました。これらの事蹟を記して後世に伝えるためとして、市民によって昭和8年この神楽岡碑が建てられました。題額は宮内大臣一木喜徳郎、撰文は北海道庁長官池田秀雄、碑文は上川神社社司柴田直胤の揮毫で高さ3、95メートル、幅1、51メートル、幅30センチ、歌碑は永山武四郎の嗣子男爵永山武敏氏の揮毫により、永山将軍の「上川の清き流れに身をそそぎ、神楽の岡に幸行仰がん」の和歌と建碑賛同者の氏名が刻まれて神楽岡碑左後方に建立されています。
舞殿です(多分):平成四年上川神社御創祀100年事業として東京国立能楽堂の指導を受け建設した能舞台(神楽殿)です。年間の祭典での神楽舞の奉納、例大祭での奉納行事をはじめ、薪能やコンサート等にも使用されています。

本殿です。
上川神社本宮のご社殿は神明造で、大正9年から同13年まで4年をかけて建築されました。平成5年には御創祀百年記念事業として、氏子崇敬者のご奉賛を頂き、大改修並びに一部増築工事が行われました。拝殿内には全国的にも珍しいオンコ(イチイ)製木彫りの狛犬ならぬ狛熊がご神前を護るべく控えています。


境内を散策しました。社務所の方などです・・。

で,そのまま神楽岡公園の方へ抜けました。


ぽろぽろと参拝する人たちも・・・。
静かな朝でした。


←これってキタキツネ・・・尻尾の大きなのがそうらしいのですが・・・。
野生?? ちょっとどっきりしました。 感動!


そして,そのまま・・・・神楽岡公園の散策をしました。